地元の人々が
自らつくりあげる
地芝居

 地芝居とは、地元の人々が演じる芝居の総称です。芝居には、歌舞伎、文楽、能狂言、獅子芝居があります。地芝居の特徴は、ただ演じるだけでなく、振付・化粧・衣裳から楽器の演奏や舞台の道具にいたるまで、すべてを自ら準備するところです。
 素人とはいえ、芝居づくりは本格的で真剣そのもので、客席の涙や笑いを誘います。
 観客もただ鑑賞するだけでなく、大向こう*おひねり*で積極的に参加します。
 会場が一体となって「自らつくりあげる地芝居」は多くの人々を魅了し、現代へと続く伝統文化となっています。

大向こう* … 演技中の役者に向かってタイミングよくかける声
おひねり* … 紙に小銭を包んで客席から投げ入れるご祝儀

岐阜県は
全国有数の
地芝居大国

 岐阜県は全国的にも地芝居が盛んです。現存する芝居小屋や舞台では、安土桃山時代や江戸時代から受け継がれてきた演目や振付が、今もなお演じられています。中には、大歌舞伎では演じられなくなった演目も伝承されています。
 現在、県内の各協議会に加盟する地芝居保存会は、地歌舞伎32団体、人形浄瑠璃6団体、能狂言1団体、獅子芝居6団体を数えます。

地芝居
という呼び名

 江戸時代、農民たちが最初に出会った演劇は、能の合間に演じられる「狂言」でした。舞や謡いが主体となる能に比べ、登場人物が対話劇を繰り広げる狂言にはドラマ性があり、人々はそこに娯楽を求めたのです。
 以来、農民たちは様々な演劇を楽しむようになり、元禄期以降は、「芝居をする」「芝居をみる」など、「芝居」という言葉の流行とともに、自ら演じるようになっていきました。
こうして岐阜県に生まれ、受け継がれてきた歌舞伎・文楽・獅子芝居、それらの源流としての能狂言を合わせ、地元の人々が演じることから「地」の字をつけて、「地芝居」と総称しています。

岐阜県の
地歌舞伎

 江戸幕府の直轄領でもあった可児郡瀬田村(現在の可児市)では、1684(貞享元)年に村民が「踊狂言」を上演し、舞台の背景や道具が作られています。踊狂言と呼ばれていますが、地元の人々の配役による地歌舞伎であると見られ、岐阜県内で最も早く行われた地歌舞伎上演だと考えられます。
 現在、地歌舞伎保存会は、東濃地方を中心に32団体が岐阜県地歌舞伎保存振興協議会に加盟し、活動しています。

岐阜県の
文楽

 文楽あるいは人形浄瑠璃と呼ばれる芸能は、江戸時代の前期、歌舞伎より若干早いか同じ頃に美濃地方に伝わりました。当時は「あやつり」と呼ばれ、本巣郡(現在の本巣市)では珍しく「人形」と呼ばれていました。
 現在、文楽の保存会は、中津川市、瑞浪市、恵那市、本巣市、養老町で6団体が岐阜県文楽・能保存振興協議会に加盟し、活動しています。

岐阜県の
能狂言

 本巣市の能郷のうごう白山神社の祭礼に奉納される能狂言は、猿楽能さるがくのうと呼ばれる古いスタイルを伝える狂言だと言われています。東海地方では最古となる1598(慶長3)年の狂言本の写本が伝わり、猿楽衆と呼ばれる16戸の家が世襲で代々能狂言を継承してきました。
 現在も能郷の能・狂言保存会として活動を続けています。

岐阜県の
獅子芝居

 獅子芝居は、女性の主人公が獅子の面を付けて歌舞伎を演じるもので、発祥の地は三河だと言われています。美濃・飛騨地方には江戸末期から明治にかけて伝わり、当時は芝居が禁止されていたこともあって単に「獅子舞」と呼ばれていました。
 現在、中津川市、恵那市、下呂市、羽島郡岐南町で、6団体が岐阜県獅子芝居協議会に加盟し、活動しています。